年内最後の後楽園ホール大会で解散した、新日本プロレスのヒールユニット“鈴木軍”。
結成から11年と続いたユニットですが2022年を持って解散となり、それぞれが別々の道を歩むことになります。
12・14仙台大会で解散を発表した鈴木みのるですが、ある選手の成長振りについてこんなコメントを残していました。
『オマエはならず者なんかじゃない。歴とした新日本ジュニアのエースの一人だ』
ご存知の通りならず者とは新日ジュニアの主役の一人であるエル・デスペラードのこと。
2014年から鈴木軍の一員となったデスペラードですが、鈴木みのるの言う通り新日ジュニアのエースの一人であり、ファンからの人気も高いトップレスラーです。
来年の東京ドーム大会ではIWGPジュニアヘビー級4WAYマッチに挑み、3度目のIWGP戴冠を狙っています。
【1月4日 (水)17時~東京ドーム大会の第1弾カードが決定!】
・IWGP世界ヘビー級選手権、ジェイvsオカダ!!
・IWGPジュニア選手権は、石森vsワトvsヒロムvsデスペラードの4WAYマッチ!!
詳細はhttps://t.co/97GMwZOtOT#njwk17 #njpw pic.twitter.com/eSfmJWYaXU
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) October 11, 2022
誰もが認める新日ジュニアの主役の一人となったデスペラードですが、実は数年前、鈴木軍を追放寸前まで追いやられたことがありました。
もう6年以上も前のことであり、それ以降にファンになった方はこの事実を知らなくても無理はないでしょう。
正直、私も当時のことはうる覚えです。
当時はタイチやTAKAみちのくに散々言われ放題であり、追放マッチが組まれるくらいユニット内での評価が低かったと言えます。
では、実際鈴木軍のメンバーから何を言われ、どんな経緯で追放マッチが組まれたのか。
断片的に当時のことを振り返りたいと思います。
エル・デスペラードが鈴木軍を追放寸前だった過去
2015年の1月、新日本プロレスからプロレスリング・ノア(以下NOAH)へ主戦場を移した鈴木軍。
2年間もの間、NOAHでは鈴木軍との激しい抗争が繰り広げられました。
デスペラードも鈴木軍の一員として闘っていましたが、翌年3月に行われたNOAH後楽園ホール大会で敗北。
この試合のバックステージで、タイチとTAKAみちのくに次回のTAKA・タイチ興行で『最後のラストチャンスだ』と追放マッチを組まれました。
この時の3人のやり取りは今では想像できない光景です。
第2試合鈴木軍 TAKA タイチ デスペラード ベンジャミン試合コメント②
タイチ「17日最後のチャンスだからな」#鈴木軍 pic.twitter.com/tqNeAlw8Mt— 鈴木軍 (@SUZUKIGUN_NO1) March 10, 2016
当時、SNSでもタイチやTAKAみちのくから罵倒されていたデスペラード。
今では考えられない関係性だったと言えます。
あんな底辺のヤツにやられるなんて、まじで話にならねぇな
終わってんなお前コラ
17日の試合で最後になるかどうなるか、お前次第だぞコラ
なぁ本当だぞ?
もし負けたら出ていくってお前が言ったんだぞコラ
中途半端な言った言わないじゃないぞコラ!
本当だぞ?
なぁデスペラードよ— タイチ (@taichi0319) March 10, 2016
@0_desperado 59秒で新弟子みたいな若手に負けといてふざけんなよコラ
ザコに負けて若手に負けて
いよいよだなお前
17日、最後になるかどうかお前次第だぞコラ
勝つんだな?勝つんだなコラ
まぁ勝ったら大したもんですよ
勝ってからだろうなウン— タイチ (@taichi0319) March 15, 2016
3月17日タカタイチ興行復活祭
デスペラード査定チャレンジマッチ
デスペラードvsX負けたらわかってんだろな?コラ
すげぇ相手用意してやったからよ
まぁお前の意気込み見せてもらうぞ pic.twitter.com/lKcmxHMaun— タイチ (@taichi0319) March 10, 2016
新宿FACEで行われたタカタイチ興行復活祭で査定チャレンジマッチとして組まれた相手は、同じ鈴木軍の飯塚高史でした。
試合は両者場外リングアウトとなってしまいましたが、デスペラードが再試合を要求。
再試合では飯塚高史のアイアンフィンガーフロムヘルで反則勝ちをもぎ取ります。
辛くも鈴木軍追放を免れる結果となりました。
2017年からは再び新日本に戻ってきた鈴木軍とエル・デスペラード。
同年6月にKUSHIDAの持つIWGPジュニアヘビーに挑戦するも敗北。
ファンの期待値は日々高まっていたものの、なかなかチャンスを活かしきれない日々が続いていました。
デスペラードのIWGPジュニア初戴冠は2021年2月であり、新日ジュニアの頂き到達まで長い長い道のりだったと言えます。
デスペラードは当時の自分を“ポンコツ”だったと語りますが、苦労は報われるを体現したレスラーとも言えるでしょう。
あの時代があるから今のデスペラードがあり、鈴木みのるやタイチからも1番成長したと評価される所以です。
ポンコツから新日ジュニアの主役の座まで登り詰めたデスペラードが、来年どの立ち位置で闘うのか?
本隊に合流するのか、それとも悪の道を突き進むのか…
ならず者がどんな道を突き進むのか要注目です。
もちろん知ってます
自分がまだ何にもできないポンコツのシングルさせてもらって
どうしようも無い泥試合させてしまったことも覚えてます
そこからなんとかシングル巻けるくらいにはなったので今日は成長をお見せできるかなと思ってます#プロレスのチカラ https://t.co/oILG0BBOGy
— El Desperado (@ElDesperado5) January 7, 2022