新日ジュニアのトップであるエル・デスペラードが鈴木軍追放寸前だった過去

エル・デスペラード【撮影:koba】
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内最後の後楽園ホール大会で解散した、新日本プロレスのヒールユニット“鈴木軍”。

結成から11年と続いたユニットですが2022年を持って解散となり、それぞれが別々の道を歩むことになります。

12・14仙台大会で解散を発表した鈴木みのるですが、ある選手の成長振りについてこんなコメントを残していました。

『オマエはならず者なんかじゃない。歴とした新日本ジュニアのエースの一人だ』

 

ご存知の通りならず者とは新日ジュニアの主役の一人であるエル・デスペラードのこと。

2014年から鈴木軍の一員となったデスペラードですが、鈴木みのるの言う通り新日ジュニアのエースの一人であり、ファンからの人気も高いトップレスラーです。

来年の東京ドーム大会ではIWGPジュニアヘビー級4WAYマッチに挑み、3度目のIWGP戴冠を狙っています。

 

誰もが認める新日ジュニアの主役の一人となったデスペラードですが、実は数年前、鈴木軍を追放寸前まで追いやられたことがありました

もう6年以上も前のことであり、それ以降にファンになった方はこの事実を知らなくても無理はないでしょう。

正直、私も当時のことはうる覚えです。

当時はタイチやTAKAみちのくに散々言われ放題であり、追放マッチが組まれるくらいユニット内での評価が低かったと言えます。

 

では、実際鈴木軍のメンバーから何を言われ、どんな経緯で追放マッチが組まれたのか。

断片的に当時のことを振り返りたいと思います。

 

エル・デスペラードが鈴木軍を追放寸前だった過去

 

2015年の1月、新日本プロレスからプロレスリング・ノア(以下NOAH)へ主戦場を移した鈴木軍。

2年間もの間、NOAHでは鈴木軍との激しい抗争が繰り広げられました。

デスペラードも鈴木軍の一員として闘っていましたが、翌年3月に行われたNOAH後楽園ホール大会で敗北。

この試合のバックステージで、タイチとTAKAみちのくに次回のTAKA・タイチ興行で『最後のラストチャンスだ』と追放マッチを組まれました。

この時の3人のやり取りは今では想像できない光景です。

 

当時、SNSでもタイチやTAKAみちのくから罵倒されていたデスペラード。

今では考えられない関係性だったと言えます。

 

新宿FACEで行われたタカタイチ興行復活祭で査定チャレンジマッチとして組まれた相手は、同じ鈴木軍の飯塚高史でした。

試合は両者場外リングアウトとなってしまいましたが、デスペラードが再試合を要求。

再試合では飯塚高史のアイアンフィンガーフロムヘルで反則勝ちをもぎ取ります。

辛くも鈴木軍追放を免れる結果となりました。

 

2017年からは再び新日本に戻ってきた鈴木軍とエル・デスペラード。

同年6月にKUSHIDAの持つIWGPジュニアヘビーに挑戦するも敗北。

ファンの期待値は日々高まっていたものの、なかなかチャンスを活かしきれない日々が続いていました。

デスペラードのIWGPジュニア初戴冠は2021年2月であり、新日ジュニアの頂き到達まで長い長い道のりだったと言えます。

 

デスペラードは当時の自分を“ポンコツ”だったと語りますが、苦労は報われるを体現したレスラーとも言えるでしょう。

あの時代があるから今のデスペラードがあり、鈴木みのるやタイチからも1番成長したと評価される所以です。

 

ポンコツから新日ジュニアの主役の座まで登り詰めたデスペラードが、来年どの立ち位置で闘うのか?

本隊に合流するのか、それとも悪の道を突き進むのか…

ならず者がどんな道を突き進むのか要注目です。

12・23後楽園ホール観戦写真