後藤洋央紀待望論はいつからなのか?荒武者待望論が生まれた日

後藤洋央紀【撮影:koba】
“独り言考察”




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IWGPのタイトルマッチ後、必ずと言っていいほどファンから巻き起こる『後藤洋央紀待望論』。

実力、人気とも申し分ない後藤が、まだてにしていない新日本プロレスの頂点です。

特に古くから応援している後藤ファンにとっては、歯痒い想いをしていることでしょう。

IWGP初戴冠に期待し過ぎて、選手本人に怒りをぶつけるファンもいるほど。

それほどまでに後藤洋央紀にとってIWGPのベルトは、近くて遠い存在なのでしょう。

 

後藤が最後にIWGPに挑戦したのは2016年の2月11日。

その年の東京ドーム大会で内藤哲也とのシングルマッチを制した後藤が、翌日の後楽園ホール大会でオカダカズチカの持つIWGPヘビー級王座に挑戦表明したのが最後。

全身白装束に身体にはペイントを施し、一世一代の大勝負に挑みましたが、IWGP初戴冠は叶いませんでした。

 

その後、オカダの共闘の呼びかけにCHAOS入りした後藤。

その荒ぶる闘いは色褪せないものの、もう5年以上も新日本の頂に挑戦できていない事実があります。

 

後藤待望論はいつからか?

 

私自信プロレスから離れていた期間(約10年)があり、また見始めるようになってから既に存在していた後藤待望論。

では、いつから後藤待望論は待たれ続けているのか?

そんな疑問を抱いていたとき目に飛び込んできたのが、SNSのフォロワーさんの呟きでした。

『後藤洋央紀待望論は2007年11・11両国から始まって今日に至る』

 

2007年は前述通りプロレスから離れていた期間の真っ只中であり、その日後藤がどんな試合をしたのか知りません。

調べるとすぐに分かりましたが、その日は後藤が棚橋弘至が持つIWGPヘビーのベルトに初挑戦した日でした。

 

相手は2度目のIWGPヘビー級戴冠を果たした棚橋の初防衛戦。

約1年間のメキシコ武者修行から戻り、帰国後天山広吉から劇的勝利でIWGP挑戦を表明。

シチュエーションでいったら否が応にも期待してしまう後藤のIWGP初挑戦です。

 

出す技こそ違いがあるものの、見た目も動きも今と殆ど変わらない後藤。

棚橋の足攻めにペースを掴めない時間が長く続いたものの、試合終盤の巻き返しは圧巻でした。

ハイフライフローを剣山で迎撃すると、昇天、回転エビ固めを潰し相手の頭をマットに突き刺し、牛殺し、ダイビングエルボードロップ、変型の垂直落下式リバースブレーンバスター、雪崩式回天で棚橋を追い詰めた後藤。

あの終盤の猛追に後藤のIWGP初戴冠を信じたファンも多かったことでしょう。

結果、敗れはしましたが『次こそは必ずIWGP戴冠』を思わせる激闘でした。

 

IWGP初挑戦した翌年にはG1クライマックス初制覇。

さらにその翌年には2年連続NEW JAPAN CUPを制覇で、春男の称号を手にしています。

 

縁がないと語った元IWGPヘビー級王者

 

後藤が何度も挑戦し越えられなかった壁であるオカダカズチカは、先日のIWGP世界ヘビー級選手権後、IWGP戦線から一旦距離を置くことを口にしました。

 

オカダに誘われCHAOS入りしてから一度もIWGPに挑戦していない後藤。

そのオカダがIWGPから距離を置くと言っているのですから、CHAOS代表としてIWGPに挑戦するのは後藤しかいないでしょう。

自身もファンも納得できる最高のシチュエーションは、近々やってくるかもしれません。

未だ新日本プロレスの生え抜きが手にしていないIWGP世界ヘビー級のベルト。

もしかしたら『生え抜き初戴冠』こそが後藤待望論を完結させるキーワードなのかもしれません

 

10年以上続いている後藤待望論。

後藤初戴冠の秒針は運命の “時” に確実に近づいていると思います。