IWGPのタイトルマッチ後、必ずと言っていいほどファンから巻き起こる『後藤洋央紀待望論』。
実力、人気とも申し分ない後藤が、まだてにしていない新日本プロレスの頂点です。
特に古くから応援している後藤ファンにとっては、歯痒い想いをしていることでしょう。
IWGP初戴冠に期待し過ぎて、選手本人に怒りをぶつけるファンもいるほど。
それほどまでに後藤洋央紀にとってIWGPのベルトは、近くて遠い存在なのでしょう。
後藤が最後にIWGPに挑戦したのは2016年の2月11日。
その年の東京ドーム大会で内藤哲也とのシングルマッチを制した後藤が、翌日の後楽園ホール大会でオカダカズチカの持つIWGPヘビー級王座に挑戦表明したのが最後。
全身白装束に身体にはペイントを施し、一世一代の大勝負に挑みましたが、IWGP初戴冠は叶いませんでした。
2月20日(土)27時20分~『ワールドプロレスリング』は2.11大阪大会より、IWGPヘビー級選手権試合・オカダ・カズチカvs後藤洋央紀を放送! https://t.co/TT7rFnKYGK #njpw pic.twitter.com/66rjREMppA
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) February 17, 2016
その後、オカダの共闘の呼びかけにCHAOS入りした後藤。
その荒ぶる闘いは色褪せないものの、もう5年以上も新日本の頂に挑戦できていない事実があります。
後藤待望論はいつからか?
私自信プロレスから離れていた期間(約10年)があり、また見始めるようになってから既に存在していた後藤待望論。
では、いつから後藤待望論は待たれ続けているのか?
そんな疑問を抱いていたとき目に飛び込んできたのが、SNSのフォロワーさんの呟きでした。
『後藤洋央紀待望論は2007年11・11両国から始まって今日に至る』
2007年は前述通りプロレスから離れていた期間の真っ只中であり、その日後藤がどんな試合をしたのか知りません。
調べるとすぐに分かりましたが、その日は後藤が棚橋弘至が持つIWGPヘビーのベルトに初挑戦した日でした。
DESTRUCTION ’07 2007年11月11日 両国国技館 第9試合 IWGPヘビー級選手権試合 棚橋弘至 VS 後藤洋央紀https://t.co/1h5cuVdCcZ
— TOPE-SUICIDA OFFICIAL (@artnjpw) June 10, 2021
相手は2度目のIWGPヘビー級戴冠を果たした棚橋の初防衛戦。
約1年間のメキシコ武者修行から戻り、帰国後天山広吉から劇的勝利でIWGP挑戦を表明。
シチュエーションでいったら否が応にも期待してしまう後藤のIWGP初挑戦です。
出す技こそ違いがあるものの、見た目も動きも今と殆ど変わらない後藤。
棚橋の足攻めにペースを掴めない時間が長く続いたものの、試合終盤の巻き返しは圧巻でした。
ハイフライフローを剣山で迎撃すると、昇天、回転エビ固めを潰し相手の頭をマットに突き刺し、牛殺し、ダイビングエルボードロップ、変型の垂直落下式リバースブレーンバスター、雪崩式回天で棚橋を追い詰めた後藤。
あの終盤の猛追に後藤のIWGP初戴冠を信じたファンも多かったことでしょう。
結果、敗れはしましたが『次こそは必ずIWGP戴冠』を思わせる激闘でした。
IWGP初挑戦した翌年にはG1クライマックス初制覇。
さらにその翌年には2年連続NEW JAPAN CUPを制覇で、春男の称号を手にしています。
縁がないと語った元IWGPヘビー級王者
後藤が何度も挑戦し越えられなかった壁であるオカダカズチカは、先日のIWGP世界ヘビー級選手権後、IWGP戦線から一旦距離を置くことを口にしました。
オカダに誘われCHAOS入りしてから一度もIWGPに挑戦していない後藤。
そのオカダがIWGPから距離を置くと言っているのですから、CHAOS代表としてIWGPに挑戦するのは後藤しかいないでしょう。
自身もファンも納得できる最高のシチュエーションは、近々やってくるかもしれません。
未だ新日本プロレスの生え抜きが手にしていないIWGP世界ヘビー級のベルト。
もしかしたら『生え抜き初戴冠』こそが後藤待望論を完結させるキーワードなのかもしれません。
10年以上続いている後藤待望論。
後藤初戴冠の秒針は運命の “時” に確実に近づいていると思います。