新日本に復帰したKUSHIDAがジュニアだけの大会を構想

KUSHIDA【撮影:koba】
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・21後楽園ホール大会で新日本プロレスに電撃復帰を果たしたKUSHIDA。

約3年半振りにセルリアンブルーのマットへ帰還を果たしたKUSHIDAのインタビューが、新日本の英語サイトで全文公開されました。

下記は有料スマホサイトでしか読めなかった、KUSHIDAが夢見る“ボーナストラック”の話しです。

KUSHIDA『あと、これは絵空事なんですけど、自分のキャリアのボーナストラックみたいなものを考えているんです。3年後か5年後か10年後かわからないけど、オールジュニアの大会を作りたいんです。今でも印象に残っているのは、2016年のスーパーJカップです。IWGPジュニア王者として、優勝しましたが、あの時点では、その地位に見合うだけの実力を発揮できていなかったと思うんです』

ー『IWGPジュニアヘビー級王者として、当時GHCジュニア王者だった金丸義信選手を下しての優勝でしたね』

KUSHIDA『うーん、でもレスラーやファンの思い入れがあったにも関わらず、会社主導でトーナメントを組んでしまったケースでした。引退する前に、もう一度、ああいうことをちゃんとやってみたいというのが本音です

ー『ではまだ悔いが残っているんですね』

KUSHIDA『……Amazonプライムの「ドキュメンタル」というシリーズをご覧になったことがありますか?』

ー『お笑い番組ですよね?お笑い芸人10人くらいを部屋に閉じ込めて、その人たちがネタでお笑いバトルを繰り広げる』

KUSHIDA『招待状をもらった人は部屋に入り、番組に出演するというものです。その招待状を直接ボクが渡して、いろんな場所でレスラー達が招待状を手にするところを撮影したいんです。ライガーに人選を手伝ってもらおうかな…いや、ライガー夫人か(笑)』

ー『1994年のスーパーJカップでは、ライガー夫人が影のプロデューサーだったみたいですね』

KUSHIDA『別に「KUSHIDA Presents」でなくていいんですよ。Super J-Cup 2022とかじゃなくても。全く別のコンセプトでもいいんです。これまでボクは沢山のタイトルを取って、数多くの団体のリングに上がってきました。今月はSTRONGとIMPACTにも出て、数週間だけでも多くのレスラーに再会しています。思い出に浸るのもいいですが、いろんな場所に行って、いろんな人脈があって、そして昔のJ-CUPを見ていると、まだまだ実現したい夢や野望があるんだなと考えています』

ー『使命感があるんですね』

KUSHIDA『あと、HHHの電話番号も知ってる(笑)。向こうから優秀な選手を借りられる可能性はゼロじゃない。ボクは常に愚直な姿勢で取り組んできましたから。これまでのキャリアはメキシコからアメリカまで、日本なら北海道、沖縄まで、常に正直な人間であり続けました。

ボクも39歳になり、もう17年間もやってきています。大男達の世界の中で小さい身体ながら生き抜いてこれたのは、すべて夢を抱いて、それを実現するために努力してきたから。それをみんなに見せたい。170cmを超えられず、プロスポーツを諦めかけてる子供たちに、この素晴らしいビジネスにはまだ余地があると、まだ達成できることがあるということを教えたい。ボクはまだまだやりたいことがたくさんあるんです』

 

奇しくもWWEは団体トップがトリプルHに変わり、様々な変革の可能性も考えられます。

インタビューはWWEが変わる前に行われたものですが、今ならKUSHIDA経由でWWEからトップ選手を借りられるかもしれません。

日本国内でスーパーJカップが行われたのは、2016年が最後。

今年、新日本もプロレスリング・ノアやGLEATと交流を行なっているだけに、夢のトーナメント開催も現実味を帯びてきました。

KUSHIDAが直接届ける招待状、近い将来そんな動画が公開されることを期待するばかりです。

 

なお、KUSHIDAのインタビューは有料スマホサイトで公開されています。

インタビュー全文はそちらをご覧ください。