3・11という忘れられない日に思い出したい鈴木みのるの“想い言葉”

鈴木みのる【撮影:koba】
雑感




Pocket

011年の3月11に起きた東日本大震災から10年の月日が経ちました。

私自身も東京で被災し、震源地である故郷の無事を願った日の出来事が今でも信じられません。

まだまだ心に傷を負った方は大勢いると思いますが、今度は新型コロナウイルス感染という恐怖に怯える日々が続いています。

今は1日でも早い収束を願うばかりです。

 

数日前、SNSで“ある選手”“ある言葉”に触れる機会がありました。

これはずっと忘れていた言葉です。

それは、震災直後の10年前に鈴木みのるが対戦するレスラーに言った心からの叫びでした。

『俺はどうしても今、お前に言いたいことがあるから、ここディファ有明に来たんだよ。

以前よぉ、〇〇〇って男がNOAHで一番強えって、凄えって話を聞いたから、そんな奴がいるならいつかやってみたいなって言った事あったよ。

それでよぉ、お前の口から「鈴木みのるとやりてぇ」って聞いた時はな、その言葉を聞いた時だけ背中がぞっとしたよ。

だけどよぉ、その後続けて言ったお前の言葉を聞いて、俺はがっくりきたよ。情けなくなったよ。

お前自分が何言ったか覚えてるよな?

「プロレスなんて元気を与えるとか、勇気を与えるとか自己満足ですよ」

今、苦しんでる人が水が必要だったりよぉ、電気が必要だったり食い物が欲しかったりよぉ、そんなことは分かってるからみんなでやってんだよ。みんなでやってんだよ。

なぁ?お前が苦しかった時によぉ、頑張れ〇〇って声かけてくれた東北のファン、誰が救うんだよ?

俺はな、お前のその雑誌の記事見てからなぁ、無性に腹が立ってなぁ、どうしてもこれだけは言わなきゃならねぇっ思って来たんだよ。

お前、MVP取ったんだろ?今チャンピオンなんだろ?なぁ?どうなんだよ?

お前がよぉ、プロレスの力信じねぇでよぉ、誰が信じんだよ。誰が救われんだよ。

東北でよぉ、苦しんでるヤツらの中によぉ、いっぱいプロレスファンいるんだよ。

そいつらの心助けるの水じゃねぇんだよ。食いもんじゃねぇんだよ。プロレスなんだよ!

絶対そうなんだよ!

なのになんでお前の口からそんな言葉が出てくんだよ!俺は悲しいよ!

俺、本気だぞ。本気でそう思ってんだ。

俺たちレスラーが胸張って、今苦しんでるヤツらにお前達の声のお陰で立ち上がれたんだ、俺達の声で立ち上がれってなんで言わねぇんだよ!それがチャンピオンだろうがぁ!

 

当時、この試合を観ていなかったプロレスファンも、ネットやプロレス雑誌で鈴木みのるの発言を目にした方も多いと思います。

あの時、あの瞬間にこれほど胸に突き刺さる言葉は無かったことでしょう。

多くの被災者が勇気付けられた言葉だったと思います。

 

なぜ、鈴木みのるが対戦相手にこの言葉を投げたかは、ネットで調べればすぐ見つけることができるでしょう。

しかし、それはあまり重要なことではないと思っています

それよりも、鈴木みのるのあの発言は本人の実体験から出てきた言葉であり、絶望の中から希望に出会って生まれた、忘れてはいけない事実なんだと思います

その真実は、鈴木みのるのオフィシャルブログの中にありました。

 

2011年3月11日、当時全日本プロレスに在籍していた鈴木みのるは宮城県石巻市で行われる大会に向けて巡業バスで高速道路を走っていたそうです。

仙台空港を過ぎ石巻市に近づいてきた頃、大地震に見舞われました。

石巻市と言えば震源地にかなり近い場所です。

直前に通った仙台空港は津波にのまれ、運良く命拾いしたと言っても過言ではないでしょう。

一晩を車中で過ごし、17時間かけてバスで東京に帰った道中は残酷な光景だったと言います。

 

道の駅での休憩中に、鈴木みのるは1人の青年に会いました。

その青年に言われた言葉が、今でも最前線で闘い続ける鈴木みのるの原動力の一部なのかもしれません。

『ジツは昨日石巻の全日本を観にいく予定だったんです。観にいく途中に街がこんなになっちゃって。今も家族とは誰とも連絡がとれてません。

でも、でも、街は必ず!必ず僕達がなんとかします!みなさんは早く東京に逃げて下さい。そして街は僕らが必ず…必ず元通りにします!

プロレスは僕らにとって本当に大切なものなんです。必ずまたプロレスをみせに来てください。街は僕らがなんとかしますから。お願いします

引用:鈴木みのるオフィシャルブログ

 

震災を震源地である東日本で経験し、あの青年のあの言葉があっての9年前の発言なんだと思います。

相手がどういう意図で言ったかはなんては関係なく「プロレスなんて元気を与えるとか、勇気を与えるとか自己満足ですよ」って言葉を全力で否定しなければならない義務感に掻き立てられたのでしょう。

 

9年前に鈴木みのるが体験したこと、あの日見た光景、震源地から東京へ戻ってきた思いなど、本人のオフィシャルブログで全文読むことができます。

 

あれから10年が経ちましたが、今でもあの日の恐怖と不安は色褪せることはありません。

そしてあの日、鈴木みのるが語った “プロレスの力” も忘れる訳にはいかないでしょう。

 

最強でも最高でもなく、一番強い男が鈴木みのるというプロレスラーではないでしょうか。

※一年前の記事を加筆修正したものです