3年前に棚橋弘至が助けたアントニオ猪木

棚橋弘至【撮影:koba】
国内プロレスニュース




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ンドン大会「ロイヤルクエストⅡ」に参加した選手達は、現地時間の10月1日の朝起きて悲しい事実を知ったのでしょう。

ロンドンと日本の時差は8時間。

日本中にアントニオ猪木の訃報が知れ渡ったあと、ロンドン大会当日の朝、そのニュースを目にしたのかもしれません。

「ロイヤルクエストⅡ」初日の試合前には追悼セレモニーと10カウントゴングも実施され、この様子は地上波のニュースでも報道されました。

 

多くの選手が創始者との別れを悲しいんでいたと思いますが、中でも在籍歴の長い棚橋弘至のショックは大きかったと思います。

高頻度で更新されるオフィシャルブログ『棚橋弘至のHIGH-FLY』の更新は途絶え、SNSでの発信もありません。※10月4日AM6:00現在

本当はショックで言葉を失っているだろう棚橋ですが、選手を代表しメディアに対しいくつかのコメントを絞り出しました。

『猪木さんが旗揚げしてくれたからこそ、今こうしてプロレスラーとしてやっていますし、本当に感謝しています。猪木さんの作ってくれた新日本プロレスをしっかり守っていければと思います』

『猪木さんほど、誰かを元気にした人を僕は知りません。猪木さんがいたから、新日本プロレスがあり、今の僕がいます。全身全霊の感謝を送ります。命の燃やし方を教えていただきました。合掌』

 

現在、新日本プロレスに上がっているレスラーの中で、誰よりもアントニオ猪木との思い入れが深いだろう棚橋。

実は数年前、アントニオ猪木のパネルを救出したというエピソードがありました。

有名な話ですが、今だからこそ再びこのエピソードを紹介したいと思います。

 

アントニオ猪木を救った棚橋弘至

 

2019年の10月、台風19号の影響で多摩川が氾濫し近隣の野毛道場が浸水したという事件がありました。

野毛道場とは新日本プロレスの道場であり、当時ヤングライオンや獣神サンダーライガーが滞在しており、浸水被害の様子をツイートしています。

 

浸水の影響で後日道場改修工事を行なった新日本は、様々な廃棄物と一緒に手違いでアントニオ猪木のパネルも一緒に処分してしまいました

そのパネルを救出し再び野毛道場に持ち帰ったのが棚橋弘至です。

 

元々は道場に掛けてあったアントニオ猪木のパネルですが、『新日本プロレスがいつまでも猪木さんのイメージのままではいけない』と決断しリング前に飾ったパネルを撤去しています。(パネルは道場内の倉庫に保管)

パネルを撤去し、救出したのも棚橋。

そのパネルは「シンニチイズム」で多くのファンが目にすることになりました。

棚橋が気付かなければ、貴重な猪木のパネルも日の目を見ることはなかったでしょう。

シンニチイズム【撮影:koba】

 

「新日本プロレス=アントニオ猪木」のイメージが薄まった昨今、再び「新日本プロレス=アントニオ猪木」が脚光を浴びています。

新日本プロレスの旗揚げ、50周年イヤーで大張社長が掲げたテーマは『温故知新』。

温故知新というテーマで、猪木イズムを最も語れるのは棚橋弘至しかいないでしょう。

今だからこそ“猪木イズム”や“闘魂”を口にし闘う姿に期待したいと思います。