2・22後楽園ホール大会の試合開始前にアナウンスされた、高橋ヒロムの全治約半年間という大胸筋断裂という大怪我。
予想外の負傷に多くのファンがショックを隠し切れなかったことでしょう。
試合前、尾崎リングアナが、本日欠場となった高橋ヒロム選手の負傷状況を説明。
病院での精密検査の結果、「左大胸筋断裂、全治は約半年」と診断されたことが明らかになった。
2.22後楽園大会詳細
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木曜に行われるIWGPジュニアタッグ選手権は、金丸義信とエル・デスペラード新たな挑戦者に名乗りを挙げました。
今週末の大阪城ホールでのIWGPジュニアヘビー級選手権がどうなるかはまだ不透明ですが、私の予想はご覧の通りです。
「大胸筋断裂」とはどんな怪我なのか?
ヒロムが欠場した後のジュニアの至宝を巡る争い注目したいところですが、やはりヒロムを欠場に追い込んだ「大胸筋断裂」がどんな怪我なのかも気になるところです。
以前、怪我をした頸椎でもなく、左肩でもなく、左胸の大胸筋という新たな部位。
ヒロムの身に何が起きたか心配しているファンも多いことでしょう。
全治約半年ということですが、同じ怪我をしたことのあるアスリートについて調べてみました。
第72代横綱「稀勢の里」
2017年1月の初場所で悲願の初優勝を果たして横綱に昇進し、翌3月の春場所も怪我を抱えながら22年ぶりの新横綱優勝を飾った稀勢の里。
その春場所の怪我が「大胸筋断裂」だと言われています。
初日から12連勝した稀勢の里ですが、13日目に土俵下に落とされた際、左胸付近を押さえ動けなかったそうです。
14日目と千秋楽を強行出場すると奇跡の逆転優勝を果たした稀勢の里ですが、左のおっつけが代名詞だった稀勢の里はこの怪我が原因で成績は下降の一途を辿ります。
出場しては休場を繰り返し、その後8場所連続休場することになりました。
完治させることなく無理して出場し続けた結果だったのでしょう。
2019年の1月場所で引退を決断。
あの時無理せずじっくり怪我を治していればと言うのが、相撲ファンの本音かもしれません。
手術という決断をした柔道男子井上康生
2004年のアテネ五輪でメダルを逃した井上康生は、4年後の北京五輪を目指し2007年の嘉納治五郎杯の無差別で優勝。
しかし、決勝戦で痛めた怪我が右大胸筋腱断裂と診断され全治6カ月の重傷を負いました。
この際、医師から2択を迫られたようです。
『医師からは治療だと筋力は6、7割しか戻らないが、手術をすれば8、9割まで回復できると言われました。
世界の重量級で戦う中で6、7割では絶対に勝てないと思いました。北京五輪でやめることは決めていましたから、時間を逆算して1年か1年半は目をつぶり、18年の講道館杯で復帰して、19年の世界選手権で結果を残し、北京五輪の代表入りを目指そうと手術を決断しました』
引用:産経新聞
手術後のリハビリも大変だったそうで、再断裂をさせないため寝るときも右腕を縛って固定し、食事も左手で箸を持って食べていたそうです。
最善を尽くした五輪選考の全日本選手権でしたが、ライバルの多い重量級において結果的に優勝することができず北京五輪出場を逃しました。
大怪我を負った状態だったにもかかわらずプロ野球選手になれた西川愛也
高校2年の春の県大会決勝の試合中、ボールを投げた瞬間に大胸筋断裂の怪我を負った西川愛也。
怪我から1ヶ月後にはバッティング練習を始めたとのことですが、その年の11月に手術を決断します。
3年の夏に照準を合わせた当時の西川少年は、全試合フル出場で甲子園制覇を成し遂げます。
優勝の立役者として活躍したものの、守備ではまだ遠投が出来なかったとのこと。
それでも打撃技術が評価され、西武ライオンズから2位指名を受けプロ入りを果たしました。
プロ入り4年目の21歳の西川は、今年1軍での活躍が期待される埼玉西武の将来を担う期待の星だそうです。
「大胸筋断裂」という大怪我
全治6ヶ月の大胸筋断裂という怪我が、想像以上の大怪我だったことが分かりました。
もしかしたら、怪我した部位の筋肉は100%には戻らないのかもしれません。
使えなくなる技も出てくる可能性もあります。
しかし、無理せず欠場という選択肢を選べたことは希望が残りました。
無理してタイトルマッチに望まなかったことは、正しい選択だったと思います。
途方もなく地道なリハビリ期間が待っているかもしれませんが、ヒロムなら乗り越えられるでしょう。
しっかり治せば、十分に復活可能な怪我だと思います。
頚椎損傷という選手生命に関わる怪我さえ乗り越えた超人ですから、必ず完全復活してくれることを信じています。