高橋ヒロムがBUSHIを指名した理由。ジュニア王座決定戦3WAYマッチ

BUSHI【撮影:koba】
“独り言考察”




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にとって1・5東京ドーム大会以来、後楽園ホールに限れば昨年の12月23日の新日本プロレス年内最終興行以来の観戦となった2・25後楽園ホール大会。

高橋ヒロムのベルト返上の挨拶から始まり、1分23秒で終わったオカダカズチカとEVILの前哨戦からの大乱闘、欠場明け久しぶりの出場となった内藤哲也と飯伏幸太の最後の前哨戦は見応え十分。

そして、IWGPジュニアタッグ選手権の大逆転勝利からのエル・デスペラードのジュニアのタイトルマッチ3WAY提案など、目まぐるしい展開の後楽園ホール大会は圧巻でした。

 

多幸感と充実感に翌日まで余韻に浸っていた金曜日でしたが、最も心に残ったシーンは寂しげなヒロムのベルト返上宣言と、『巧くて、カッコよくて、強かった』デスペラードのマイクパフォーマンス。

そして、飾り気のない剥き出しの心から発せられたからBUSHIのシンプルな言葉でした。

『やるしかねえだろ!』

 

シチュエーションだけで言えば、棚からぼた餅とも言えるヒロムからの推薦。

しかし、時間が経つにつれて沸々と湧いてきたのは、なぜヒロムはBUSHIにファンタズモと闘って欲しいと懇願したのかという疑問でした

 

BUSHIは推薦されたのではなく…

 

この疑問を紐解くには、第1試合前のヒロムの挨拶を振り返る必要があります。

 

ヒロムの口から発せられた『大阪城』『ファンタズモ』『BUSHI』の3つのフレーズを聞いた瞬間、今週末のIWGPジュニアヘビー級選手権は「ファンタズモ vs BUSHI」になるんだろうなと思ったファンは多かったんだと思います。

現ジュニア王者からの推薦という後押しに、決定打となる可能性は高いと思ったのは私だけではないでしょう。

 

しかし、実際のところヒロムはIWGP挑戦権をBUSHIに譲った訳ではありません

BUSHIに自分の代わりにファンタズモと闘って欲しいとお願いをしました。

つまり、会社に対しファンタズモ戦にBUSHIを推薦したのではなく、BUSHIに対し自分の代わりに闘って欲しいという懇願です

 

ファンにとっては嬉しい悲鳴でも、当の本人であるBUSHIは困惑していたかもしれません。

仲間であっても他人からの後押しでIWGP挑戦が決まったとあっては、元ジュニア王者としてのプライドが許さないでしょう。

昨年末に行われたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアは4勝5敗という成績。

リーグ戦ではこの日メインを闘ったデスペラードにも石森太二にも負けています。

ヒロムの口から自分の名前が出なければ、試合後のリングに登場することはなかったでしょう。

「THE NEW BEGINNING」広島大会のマスター・ワト戦後、誰もが納得するIWGPジュニア挑戦の条件をBUSHI本人がハッキリ口にしていました

『IWGPジュニアのベルトに挑戦表明する時は、今年の「スーパージュニア」優勝するしかねえだろ。な?だったらな、納得のいく挑戦表明、必ず辿り着いてやるよ』

引用:新日本プロレス

 

なぜヒロムはBUSHIにファンタズモと闘って欲しいとお願いしたのか?

 

会社とファンに対しBUSHIの挑戦を推薦したのではなく、自分の代わりに闘って欲しいとBUSHIにお願いをしたヒロム。

ファンタズモと闘って欲しいと願った理由は2つあると思っています

1つは大阪城ホール大会2DAYSの唯一となるジュニアのタイトルマッチに、穴を開けたくなかったから

 

2日合わせて全12試合ある「CASTLE ATTACK」大阪城ホール大会ですが、ジュニアの試合は2日目のIWGPジュニアヘビー級選手権の1試合しかありません

他の試合ではジュニアの選手が1人も出場しないという今回の大阪城ホール大会です。

ジュニアのベルトを巻いたまま、ヘビーのベルトに挑戦したいという夢を持つヒロムにとっては緊急事態でしょう。

その唯一のジュニアの試合を欠場してしまうとなれば、自分の代わりに出場を頼める相手は信頼するBUSHIしかいないのではないでしょうか。

 

現にヒロムがベルト返上を口にするまで、誰一人として自分の代わりに『ジュニアのタイトルに出場させろ』と行動に移した選手はいませんでした

ヒロムにとってタイムリミットは、2・25後楽園ホール大会開始前だったのでしょう。

 

ギラギラした “BUSHIさん” が見たいから

 

では、もう1つの理由はなんなのか?

もしかしたら、自分が抜けた新日ジュニアの穴を埋められるのは、『ギラギラしたBUSHI』しかいないと思ったからではないでしょうか。

 

ロスインゴの縁の下の力持ちのイメージが強いBUSHIですが、かつてはもっとギラギラしていたようにも感じます。

結果を出す出さないではなく、嬉しさも悔しさも感情を表に出していたイメージ。

恐らくターニングポイントは、絶対負けたくない存在だったKUSHIDAの退団ではないでしょうか?

 

BUSHIはIWGPジュニアのベルトを巻いたこともある実力者です。

しかし、KUSHIDA退団以降は1度しかジュニアヘビー級のベルトに挑戦していません

デスペラードに常々『感情が伝わってこない』と酷評されるBUSHIですが、あの日以来昂る感情は影を潜めてしまったようにも感じます。

BUSHIがギラギラした感情を取り戻した時、新日ジュニアは更に上のステージに進めるのでしょう。

ヒロムの復帰戦がBUSHIとのIWGPジュニア選手権であれば、これ以上ないシチュエーションです。

 

ヒロムは最低でも半年復帰できないことに危機感を抱いているでしょう。

それはプロレスラーとしての危機感だけではなく、ジュニアの勢いが止まらないかどうかの危機感。

欠場中も隠れずに表に出るという発言は、試合に出れなくてもジュニアを盛り上げたいという気持ちの現れかもしれません。

 

もう一度聞いて欲しいBUSHIの言葉

 

デスペラードと金丸のリベンジ成功で盛り上がった、2・25後楽園ホール大会のジュニアタッグ選手権。

あの試合後の主役は間違いなくデスペラードでした。

そのデスペラードの正論の途中に現れ、静かに話しを聞いていたBUSHI。

恐らく、湧き上がる感情を抑えていたのでしょう。

震えるような声で言ったBUSHIの言葉は、覚悟を決めた漢の言葉でした

 

是非、もう一度聞いてみてください。

もしかしたら、最初に聞いた印象と違う様に聞こえるかもしれません。

『ヒロムに指名されたんだよ。やるしかねえだろ!』