未来へタイムスリップしていた男が、新日本プロレスのリングに帰ってきました!
2019年の1月29日のラストマッチを最後に、新日本から旅立ったKUSHIDA。
高橋ヒロムの挑戦を退け、最早誰なら石森太二を倒せるかという状況で現れたのは、3年半振りに帰ってきた“タイム・スプリッター”KUSHIDAでした。
なんとKUSHIDA が新日本のリングに登場!https://t.co/Y6EUcCg14e#njroad pic.twitter.com/fqFUMgkoqU
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) June 21, 2022
登場直前に新日本との契約書を交わしたことを告白したKUSHIDAは、挑戦者がいないという石森に挑戦表明。
バックステージでは残りのプロレス人生を新日本プロレスの世界進出、発展に捧げたいと力強く語りました。
KUSHIDA「今まだ家がフロリダのオーランドにありますんで、ロサンゼルスに引っ越して、そこから試合のたびに来日するという形になると思います。残りの僕のプロレス人生、その時間、経験も全て、この新日本プロレスの世界進出、発展に捧げたいと思います」
全文は
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KUSHIDAが海外メディアの噂を否定
KUSHIDAがWWEから退団して以降、様々な憶測が海外メディアから報じられました。
それだけKUSHIDAの去就は海外でも注目されていたということでしょう。
一方でKUSHIDAは後楽園ホールに現れた数時間後、海外メディアが報じた噂について自身のInstagramで否定しました。
“ヘビー級でやりたいとか、バレットクラブに入りたいとか言っている人がいますが、それは全部フェイクニュースです”
引用:KUSHIDA Instagramアカウント
仮にヒールターンして帰ってきたとしても、KUSHIDAの復帰は歓迎されていたでしょう。
それだけの功績を残し、新日本にはなくてはならない存在でした。
また、今後についてはロサンゼルスを拠点にし、新日ジュニアとLA道場を盛り上げたいと語っています。
多大なる影響を受けた柴田勝頼とタッグを組むことは、期待しかないでしょう。
今後、LA道場からモンスター級のヤングライオンが生まれるかもしれません。
“ロサンゼルスに住んで、レスリングをすることは僕の夢でした。この夢を実現させたいと思います。
新日本、新日本のジュニア部門、そしてNJPW LA道場を盛り上げていきたいと思います”引用:KUSHIDA Instagramアカウント
3年半前に涙ながらに語ったKUSHIDAのメッセージ
昨日の後楽園ホールに戻って来て石森と対峙したKUSHIDAは、新日本隊にいた時のKUSHIDAそのものでした。
3年半前にKUSHIDAラストマッチの相手を務めた棚橋弘至が昨日の後楽園にいなかったことは残念ですが、2人の再会を早く見たいと思うファンも多いでしょう。
3年半前の退団会見で凛とした表情で今後について語ったKUSHIDAも、苦楽を共にした仲間である棚橋の質問には、涙ながらに楽しかった想い出を語っていました。
会見を後ろから見守っていた棚橋選手が、『新日本プロレスで楽しかったことと、新日本プロレスで辛かったこと。なにかあれば教えてください』と質問。
KUSHIDA 『(※目に涙を浮かべ)辛かったことはないです……。フゥ……(※言葉を震わせ)やっぱ、ボクは……ハァ、ダメだ。棚橋さん、ズルいですね。(※涙をぬぐい)やっぱり、ボクはプロレスが大好きなので、プロレスで生活できない、メシが食えないっていうのが一番辛いことなので、そこをゼロベースで考えると、こんなにも最高な環境で、こんなにも最高なお客さんがいて、ホントにプロレスラーとしてメチャクチャ充実していた8年間でした。 引用:新日本プロレス |
※KUSHIDAの会見は15:43頃
KUSHIDAが新日本に復帰したことは、団体にとってもジュニアにとってもプラスでしかありません。
あの選手も、あの選手も、あの選手もKUSHIDAへのリベンジを狙っているはずです。
KUSHIDAがいなかった3年半の間に、新日ジュニアの顔ぶれや勢力図も大きく変わりました。
もしかしたら今の新日ジュニアに足りなかったピースは、KUSHIDAのような強さと厳しさを兼ね備えたレスラーかもしれません。
数年前『明るい未来に連れて行きます』と語っていたKUSHIDAが、ジュニアの試合を東京ドーム大会のメインイベントに連れて行ってくれると期待したいと思います。